2021年に第一子の娘を2144gで出産しました。
37週4日と正期産ではありましたが、妊婦健診時の予測よりもはるかに小さく生まれました。
しかし、2歳になった現在は当時の不安や心配が嘘のようにすくすくと成長し、元気いっぱいなやんちゃ娘になりました。
娘と夫と1匹の猫との4人家族で、笑いの絶えない毎日を過ごしています。
ママのプロフィール
出産時期 | 2021年12月 |
出産当時の年齢 | 35歳 |
妊娠期間 | 37週5日 |
少し小さい赤ちゃんを出産した原因 | 原因はわかりませんが、妊娠中の栄養不足や、 骨盤が小さいために大きく育たなかったのかも しれないなど、思いつくことはいろいろあります。 動きすぎたために、早く産まれた可能性も あると思っています。 |
出産病院種別 | クリニック |
単胎or多胎 | 単胎 |
分娩方法 | 経腟分娩 |
分娩所要時間 | 1時間7分 |
お子様のプロフィール
現在の年齢 | 2歳0ヶ月 |
性別 | 女 |
出生順位 | 第一子 |
出生体重 | 2144g |
出生身長 | 44.5㎝ |
出生時の主な異常 | なし(新生児室に入った後、ミルクや K2 シロップを 全て嘔吐してしまい、何も受け付けませんでした) |
NICU/GCU入院 | あり |
NICU/GCU入院期間 | GCUに16日間 |
退院時の赤ちゃんの状態 | 体重が 2300g を超えてから退院となりました。 (退院日が出産予定日でした。) 吸う力はあるものの、口が小さすぎて直母では ほぼ飲めていませんでしたが、 ミルクは飲めるようになっていました。 |
退院後の栄養方法 | 搾乳したミルクを冷蔵・冷凍し、 哺乳瓶であげていました。 |
現在の主な異常 | 食わず嫌い、食べムラがあり、食べられるものが 少ないです。食べる量も少ないため、2歳になった 現在もフォローアップミルクを併用しています。 |
出産体験記
ようやく授かった命
なかなか自然妊娠に至らず、妊活には苦労しました。
不妊治療の病院に通いながらも最終的には自然妊娠で授かった我が子。
妊娠中は身体を冷やさないようにし、子供に栄養をしっかり送らなければと食事にも気をつけていました。
妊娠中は貧血以外には特に指摘を受けることはなく、順調に育っている様子でした。
ただ、仕事は接客業で、夜20時まで立ちっぱなしで勤務。
車がなかったため、お腹が大きくなるまでは自転車、その後は徒歩30分の道のりを頑張って歩いて通勤していました。
34週目からようやく産休に入り、今までの疲れを癒すかのように毎日のんびり過ごしました。
元々肩こりや腰痛がありましたが、妊娠中は薬や湿布は使用しませんでした。
代わりに、月に一度は妊婦でも受けられるリンパマッサージへ。
遠方だったため、高速バスなどで通っていました。
また、37週の健診時には胎児の体重が2500gと予想されていたものの、周囲からは「あまりお腹が出てないね」とよく言われていました。
ハイスピードすぎる出産
37週2日におしるしがありましたが、「出産まで1週間くらいかな」と悠長にかまえていました。
その2日後、日中は義母と買い物やランチに行ったのですが、その日はたびたび前駆陣痛があったのを覚えています。
今思うとあれが本陣痛だったのかもしれません。
その夜、「いてて…」と思いながら腰にテニスボールを押し当てていると、いきなり弾け飛ぶように今までとは桁違いの痛みに変わりました。
のたうち回りながら病院に電話をすると「もう少し家で耐えてください」と言われましたが、電話口で叫びながら懇願し、病院へいくことに。
もうすでに頭が出ていると錯覚するほどの感覚がありました。
病院に着いても自力では歩けず、抱えられながら分娩室に入りました。
分娩台に乗った瞬間に破水し、子宮口は全開。
あっという間にお産が進み、分娩室に入ってわずか15分で出産に至りました。
のたうち回る痛みが始まってから35分後の出産でした。
また、コロナ禍だったため、夫は付き添いができず、電話で報告しました。
あまりの早さに驚いていましたが、嬉しさに電話口で涙ぐんでいるようでした。
面会は身内のみ、1人限定で1回のみという制限がありました。
夫の面会を希望し、出産から数日後の日時を選択したのですが、産まれてすぐの面会を選択していたら良かったなと後で少し思いました。
小さくても元気な姿に安心するも、転院することに
出産後、大きな産声で泣いてくれてホッとしたのも束の間、「2144gです」と言われ、
「えっ!?小さい…」と少し不安を覚えました。
それでも、元気いっぱいの大きな声と顔色の良さに加え、カンガルーケアでは小さな口で初乳を飲もうとする力の強さにマイナスな気持ちは吹き飛び、幸せと喜びに浸っていました。
しかしその日の夕方、助産師さんと先生から「ミルクもK2シロップも吐いてしまって受け付けず、体重が減っている」とお話がありました。
出産した病院ではできることが限られているため、娘だけが大きな病院のGCUに救急車で搬送されることになりました。
車で1時間離れた場所なので、自分が退院するまで会えないこと、細かな様子が分からないことに、不安が増すばかりでした。
赤ちゃんが入院中のママの体験談
幸せに包まれているはずが真っ暗闇に…
救急車で運ばれていく娘を見送った後はずっと泣き続け、先生や助産師さんの
「大丈夫だよ、任せておけば必ず元気になって戻ってくるから」
という言葉を頭の中で何度も復唱して気持ちを落ち着かせようとしましたが、無理でした。
面会に行ってくれた夫からは、チューブに繋がれた娘の写真が送られてきて、写真を見るたびに「ごめんね」と何度も呟きました。
また、ふとしたときに「会いたい!会いたい!!」とスイッチが入り、精神的に不安定になってしまい、涙が止まらず不眠や過呼吸などの症状もありました。
周りのお母さんたちは母子同室で授乳やお世話などにてんてこまいなのに、私は1人部屋で放心状態。
赤ちゃんの声が聞こえてくるたびに心臓が痛くなり、つらくて声を殺して泣きました。
妊娠中の自分の行いを何度も悔やみ、娘にひたすら謝ることを繰り返していました。
その後、助産師さんに心のケアをしていただき、落ち着きを取り戻してからはひたすら搾乳に励みました。
一滴でも1ミリでも多く栄養を届けたい一心で、2~3時間おきに搾乳機で搾乳をし、冷凍して夫に届けてもらっていました。
自分が退院した後も、娘が入院中は夜中も起きて搾乳中心の日々を過ごしました。
搾乳機を洗ったり、組み立てたりするときにふと我に返り、つらさと寂しさが襲ってくることもありましたが、「自分が娘にできることはこれしかない!」という思いで必死でした。
ミルクの量が増えていった
私が退院して数日後、待ちに待った面会日がやってきました。
ドアが開くと早足で前のめりになって娘のベッドを探しました。
久々に見る娘は目が開き、しっかりした顔立ちになっていました。
印象が変わりすぎて、自分の子だとわからないくらいでした。
必死に涙を堪えましたが、9日ぶりに触れた娘にミルクをあげる際には
「たしかに自分の腕の中にいる!」
という喜びと
「しっかり生きてる!ミルクを一生懸命飲んでくれている」
という感動で、大粒の涙があふれて止まりませんでした。
また、面会には週に1〜2度しか行けませんでしたが、ミルクの量や体重が徐々に増えているのを見てガッツポーズをし、遠方の両親に娘の様子を報告し、一緒に喜び合うのが楽しみでした。
体重は10g単位の増減に一喜一憂しましたが、ミルクは「5ml飲めました」という報告から、10ml、20mlと少しずつ量が増えていきました。
GCUの授乳ノートで、深夜に「おやつ20ml」と書いてあるので看護師さんに尋ねると
「夜中にお腹空いたー!と泣くので夜中におやつ(ミルク)をあげました (笑)」
と言われ、生きる力が出てきたんだ!と感じ、とても嬉しかったです。
育児中の体験談
叶わなかった直母と疎外感
退院後は直母の練習をするように言われていましたが、口が小さく、くわえるだけで口がいっぱいになり、母乳で溺れそうになっていました。
乳首のアタッチメント(哺乳瓶の先のようなもの)をつけて授乳をするように言われましたが、それでも母乳があふれ、授乳どころではありませんでした。
母乳育児に憧れていましたが、私の心が折れ、搾乳と哺乳瓶がメインになりました。
搾乳機は手動と電動のどちらも購入しましたが、産院で使用していた手動のものよりも、電動のもののほうがはるかに楽でした。
ただ、何度か動かなくなるなどトラブルも多く大変でしたが、搾乳機に頼らないとどうしようもないので必死でした。
2.5時間〜3時間おきに搾乳した母乳を温め哺乳瓶で飲ませ、哺乳瓶と搾乳機を洗浄する…毎日同じ作業をすることが本当にしんどかったです。
また、3ヶ月を過ぎた頃から月齢の近い赤ちゃんとママが集まるベビーマッサージの講座などにも定期的に出向いていたのですが、皆さん全員母乳育児をしており、私だけが粉ミルクをあげていたのが少し切なかったです。
他にも、周りのママさんが「添い乳ってどうやるの?」など「母乳育児あるある」について話す中、私は聞くことしかできず「搾乳して哺乳瓶&粉ミルク」の話をするのも少しつらかったのを覚えています。
授乳方法の話をするにしても、必ず低体重やGCUの話を絡める必要があるため、明るさを保ちながらあっけらかんと話すよう努めていました。
もう一つ疎外感を感じたことは、子供を低体重児で出産、GCUに入院し、つらい思いをした経験はあるものの、正期産だったため早産児のサークルに入ることができなかったことです。
つらい思いを共有したり吐き出したりする場所がないということが、いつも心に引っかかっていました。
娘の成長が私の生きがい
退院した後は乳児用体重計で毎週体重を測り、成長を確認していました。
数値で成長がわかることに対して安堵を覚えたため、体重、身長、ミルクの量など、数字ばかりを追っていた気がします。
しかし、細かった手足は徐々に肉付きがよくなっていき、低体重だったのが信じられないほど、どんどんふっくらしていく娘を見て安心したため、体重の計測は月1回に減らしました。
1ヶ月健診は出産した病院ではなく娘が入院した病院だったため、産院との繋がりがないのは寂しくもありました。
入院した病院では発達フォローも受けていましたが、7ヶ月後の発達チェックも問題がなかったため、数回で終了となりました。
ただ、臍ヘルニアと便秘があったため、月に一度別の小児外科に通っていました。
病院が遠方であることと、待ち時間が長かったことが大変でした。
また、はじめは周りから言われるセリフが「小さいね」「細いね」だったのが、だんだん「むちむちで可愛いねー」「ふっくらして可愛いね!」に変わったことが嬉しかったです。
あとは、何よりよく笑う、娘のニコニコ笑顔に本当に元気づけられました。
日に日にできることが増えていく娘にも驚かされました。
子どもの成長・発達に関する情報
生後4ヶ月後半:寝返りができるようになった
体重 | 6130g |
身長 | 62cm |
栄養方法 | 混合栄養 |
4ヶ月になる頃に首が座り、4ヶ月半くらいで寝返りができるようになりました。
首座りや寝返りができない頃から、首をあげようと仰け反る姿勢がかなりしっかりしていたので、我が子の運動発達能力に期待をして今か今かと待ち構えていました。
むっちりした体つきになった分、寝返りは大変そうでしたが、初寝返り時は動画を撮影して大喜びしました。
1歳1ヶ月:一人歩きができるようになった
体重 | 8800g |
身長 | 74cm |
栄養方法 | 離乳食中期〜後期の食事+ミルク |
9ヶ月でつかまり立ちと伝い歩き、1歳1ヶ月で数歩ずつ一人歩きができるようになりました。
毎回、身体の発達のステップアップに歓喜していましたが「歩いた!」というのは、なんともいえない感動がありました。
また、歩けるようになるとYouTubeで音楽を聴きながらリズムに乗って踊ったり、色んなイタズラをしてみたり、日に日に行動範囲が広がり、やんちゃな性格が現れてきました (笑)
私のことを「まんまんまー(ママ)」と呼んでいたのが、いきなり「マーマ!」と呼んでくれるようになったのもこの頃です。
呼ばれてあれほど嬉しかったのは初めてでした。
離乳食に関しては特に好き嫌いなく食べてくれていましたが、歯がまだ2本しかないからか、野菜類は離乳食中期くらいの形状と柔らかさにしないと食べてくれませんでした。
食に関する心配事はこの頃から始まりました。
2歳:食べムラ、偏食が心配
体重 | 11kg |
身長 | 82cm |
栄養方法 | 離乳食後期程度の硬さの幼児食+フォローアップミルク |
1歳4ヶ月で保育園に入園し、4月から2歳児クラスに進級します。
保育園が大好きで仲良しのお友達もでき、毎日楽しく遊んでいます。
一人っ子のため、家では自分優先で我慢することなくおもちゃも使えますが、保育園では「順番」「みんなで一緒に」など、さまざまなことを学んでいるようで、
今では小さな子や友達に対しても優しく思いやりを持てるようになりました。
また、産まれた時から猫と一緒に暮らしているので、初めて覚えた動物の名前は「にゃんにゃん」でした。
立派な猫好きに育っています。
女の子ですが、はたらくくるまが大好きで、服やパジャマ、靴下も車のモチーフを好んで着ています。
娘が興味を持ったり、好きなものができたりすると嬉しくて、親の方がついついグッズを買い集めてしまいます。
現在の心配事は食べムラ、偏食です。
幼児食をスタートしたものの、硬さ、食感、風味などを警戒し、口にすら入れようとしないので、食べられるものが少な過ぎてご飯は毎日同じようなものばかりです。
野菜は離乳食のように炊飯器で柔らかくして細かくし、フリージングしたものを常備しています。
肉、魚は食べないので、ひきわり納豆や豆腐、ヨーグルトなどがタンパク源です。
何でもたくさん食べられるようになるようにといつも願っています。
お子さんへのメッセージ
パパとママのもとに生まれてきてくれて本当にありがとう!
あなたの成長に驚かされながら一緒に過ごす毎日がとても楽しくて、ママは幸せです。
いつもニコニコ元気いっぱいな笑顔で我が家を明るくしてくれてありがとう。
みんなをたくさん笑わせてくれてありがとう。
これからもい〜っぱい大笑いしながら家族みんなで仲良く楽しく過ごしていこうね!
世界一大好きだよ!!
少し小さい赤ちゃんを生んだママへ、一言メッセージ
私は正期産ではありましたが、我が子が小さく産まれたこと、我が子が産後すぐに別の病院に運ばれ、離ればなれになってしまったことがつらすぎて、
短期間で心が壊れてしまいそうになりました。
当時は自分をひたすら責め続ける日々でしたが、目の前の我が子が懸命に頑張る姿を見て「自分を責めて後悔するより、親として私もしっかりしなければ!」と思いました。
正直なところ、はじめは
「小さく産まれたから発達が平均より遅かったらどうしよう」
「あの子はもうあんなことができるの!?」
「歯が全然生えそろわない!」
など、月齢毎に常に心配事がついてまわり、同じ月齢の子の発達具合をSNSで見て焦ったり、身長、体重、月齢や平均という言葉にがんじがらめになっていました。
しかし、過ぎてみれば全て「案ずるより産むが易し」でした。
育児書などの発達の平均なんて全くあてにならないです。
参考程度(そろそろこんなことができるようになるのかー)で良い!と経験者として言いたいです。
『他の子と比べてできないこと』に目をやるよりも『以前と比べて我が子がどれくらい成長しているか』など、我が子の素敵なところに目を向けてください。
少しずつでも着実に成長してくれています。
しかし、こんな偉そうなことを書いていますが、私もまだまだ心配事がつきません。
SNSでの他の子の発達の早さなども多少気になります(笑)
でも「よそはよそ!うちはうち!うちの子が世界一かわいい!」と愛情いっぱい、親バカになって我が子の成長を一つ一つ楽しみながら子育てを楽しんでいきましょう。
*本記事は、福井県ワクワクチャレンジコンテストによる支援金をもとに作成されています